~備えあれば憂いなし~
本日は当社の従業員の防災・災害エピソードを伺ってまいりました!
今回のエピソードは、災害は場所を選ばず誰にでも起こり得るというストーリーです。 彼が今までに経験をした大きな災害は2つでした。
1998年8月26日から31日にかけて、北日本や東日本各地で8月の月平均降水量を上回る大雨となり、栃木県北部や福島県などでは記録的な大雨となりました。栃木県那須町では699ミリメートルを超える降水量を観測し、この豪雨災害では死者22名、行方不明者2名、負傷者55名を出すほどになりました。
写真:AIイメージ
那須町は栃木県の北部に位置し、標高が高い地域を多く含みます。当時の災害(水害)では標高200mの地域でも浸水被害が発生しました。これは、那須岳周辺の急斜面から、大量の土砂が流出し、河川の氾濫を悪化させたためです。
幸いにも彼自身や自宅には大きな影響はありませんでした。標高が高い地域なのに牛が流されるほどの大洪水だったことを今でも記憶しています。流されていた牛の体は長時間水中に浸かっていたことにより体が大きく膨張していました。これは洪水の水量が非常に大きく牛のような大きな動物も流れに巻き込まれてしまうほどの規模だったということになります。
この水害を通して、災害は場所を選ばないということが理解できました。標高が高くても、地形や河川の状況によっては洪水リスクは存在するということです。非常に大規模な洪水が発生した場合、堤防の決壊(破堤)や、堤防を水が乗り越える(越水)によって、浸水する可能性があります。この場合、標高が比較的高い場所であっても、浸水域が広がることで被害を受ける可能性があります。特に、地形によっては、水が低い場所に流れ込んで溜まるだけでなく、高い場所にも到達するケースがあります。
2つ目の彼にとっての大きな災害は、2011年3月11日、東日本大震災です。
当時彼は都内某所のビル4階にて約20名ほどと社内会議をしていました。 14 時 46 分、三陸沖を震源とするマグニチュード 9.0 の巨大地震が発生しました。会議室の窓は開いており、隣のアパートが揺れているのが見えました。すぐに室内の激しい横揺れが始まり、社内のスチール書棚の中の書類ケースが飛び出しました。会議室に飾ってあった花瓶が倒れ、社員は皆パニックになりました。いつまで続くのかどこまで大きくなるのかわからない強い揺れが続きました。エアコンの室外機が大きく揺れて、支えなくては倒れるのではないか?というくらいでした。
【江戸川区 2011年3月11日震災発生後】 出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト
首都圏の鉄道は、施設の安全確認のため、全面に運行を停止しました。彼やほとんどの従業員はその日は会社に泊まることにしました。 地震発生後も営業していた居酒屋も多くあり、彼は夕食を会社近くの居酒屋でとりました。彼以外の多くの従業員が会社に泊まることになったので、みんなに何か差し入れをしてやろう!と居酒屋を出た後に近くのコンビニに立ち寄ったのですが、既に店内のほとんどの食料品が品切れ状態でした。会社に戻り、各自デスクの近くなどで朝まで仮眠を取りましたが、毛布などの準備は無かったので、暖房をつけて体を温めて眠りました。
翌朝は土曜日でしたが、駅にはたくさんの帰宅困難者の列ができていました。彼は電車の混乱が落ち着いた午後に最寄り駅を出発し、帰宅しました。
【震災後のとあるスーパーの商品棚】 出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト
そして震災後に一番困ったことは、ガソリンの給油でした。都内のガソリンスタンドには、ガソリンの給油を待つ長い車列が形成され、一部のスタンドでは休業や給油制限を行う状況となっていました。
【震災後のガソリンスタンドの様子 2011年3月14日】 出典:Yahoo! JAPAN 東日本大震災 写真保存プロジェクト
東日本大震災以降、人々の防災意識は高まり、自助・共助の意識も強まりました。彼がこれらの災害を経験し、学んだ教訓は災害はいつ、どこで起こるかわからないので、「備えあれば憂いなし、やりすぎぐらいの準備が調度良い」ということです。防災の準備は、食料や水の確保だけでなく、避難場所の確認や連絡手段の確保など、実践的な対策も含まれます。
日頃から防災対策をしておくことで、被害を少なくすることはできます。皆さんも災害に備えて準備をしましょう!