わたしの防災・災害エピソード   

わたしの防災・災害エピソード   

~経験が活かされた個人の災害対応力~

本日は当社の従業員の防災・災害エピソードを伺ってまいりました!

今回のエピソードは、防災意識が高かったことにより色々な場面でその経験が活かされたストーリーです。

1987年12月17日に房総半島九十九里浜付近が震源地にて、千葉県東方沖地震が発生しました。

出典:千葉県HP「じぶん防災」よりhttps://www.pref.chiba.lg.jp/bousaik/jibun/chishiki/touhouokijishin.html

彼は当時中学生でした。彼の住んでいる地域は震源地に近く、がけ崩れが多数発生していたり、液状化で平らな道路が激しく起伏し車が通れなくなったところが何か所もありました。

この時代は震度計が少なく震度5という記録になっていますが、体感では震度6弱はあったのではないかと彼は記憶しています。

この地震がきっかけで彼の防災意識は高くなりました。普段から災害情報を気にするようになり、防災への意識づけを周知する努力をしていましたが、周囲の人々は彼の言っていることを「心配しすぎだよ~」と相手にしませんでした。

3.11東日本大震災が発生するまでは。

【2011年3月11日 東日本大震災発生】

当時、彼は現場調査で震度6弱の地域にいました。調査対象は建材の倉庫。

上司、同僚と彼でその建物内で調査をしていました。大きな揺れを感じ、すぐに外に出ましたが、あまりの揺れの大きさに建物が倒れるっ!と、道路の反対側の畑の方まで急いで逃げました。この時、電柱も折れそうな勢いがありました。

そして、気づけば上司がまだ建物の中から出てきていない!!

しかしあまりにも揺れが大きく、助けにいける状況ではありませんでした。

幸いにも、上司はしばらくして自力で何とか建物から脱出することができました。

駐車している車はサイドブレーキがかかっていたはずなのに、激しく前後に動き、そのうち塀のブロックがガラガラと崩れ落ち始めました。

 

揺れがひと段落し、倉庫内部を確認してみると・・・

建材は散乱し、窓は歪んで閉まらなくなり、ペンキ等も床に飛び散っている有様でした。彼はあまりにもひどい状況だったので、上司に「もう現場を切り上げて帰りましょう!」と進言しましたが、受け入れらることはなく余震を感じながら、引き続き17時頃まで調査を続行いたしました。

その後作業が終わり、車で宿に向かいましたが、道中は停電が発生していて信号も消えていました。

しばらく走ると、営業しているガソリンスタンドを見つけました。念のため給油をすることにしましたが、これが後々とても重要なことになりました。東日本大震災の後には、多くのガソリンスタンドが営業を停止したり、給油を制限したりしていました。彼のとっさの判断が功を奏した訳です。

夕食を取りたいと思ったが、飲食店はもちろん開いていません。

そこで食料を手に入れるために近くのスーパーやコンビニを探しました。あちこちのお店は停電のため対応していませんでした。しかし1か所のセブンイレブンだけは蓄電池を店舗に保有していたので、しばらくの間は店内照明がついていました。
こちらも停電の影響でレジが止まっており、本来なら商品を売ることもできない状況ではありましたが、当時お店にいたスタッフが機転を利かせ、検品用のハンディ端末でバーコードを読み取り、商品価格を確認し、電卓計算で対応してくれることになりました。

店内を見てまわると、弁当などの目ぼしい商品やペットボトルの飲料などは既に売り切れていました。

彼の上司は迷わずビールとつまみを手に取ったので驚きましたが、こんな状況ならそれでも良いかな・・・と彼も高カロリーのチョコレートやスナック菓子とビールを購入しました。
これで食料にありつける!と安堵したのも束の間、ついに蓄電池で動いていた照明が落ちてしまい、店内にいた女性が悲鳴を上げるなど一時パニック状態になりました。

ここで役に立ったのが彼の過去の経験とそれに対する防災の備えです!

防災への意識からいつも持ち歩いていた小型大光量の懐中電灯を取り出し、天井に向け照射してみました。すると、ある程度明るくなり店内の混乱状況が治まりました。

無事に買い物を終えコンビニを後にしました。

宿に到着しましたが、こちらでも問題が発生しました。地震の影響で建物が崩壊する可能性があると言われたのです。睡眠ぐらいゆっくり取れるかと思ったのですが、やむなく車中で過ごすことにしました。

家族への心配があり、自身の携帯電話で自宅へかけてみましたがつながりません。そういえば、宿までの道中のコンビニに公衆電話があったよなと思い、電話をかけに行きました。(こういった災害時には公衆電話が無料で使用できることを彼は知っていたのです)

災害時には、安否確認や連絡のために多くの人が電話をかけます。回線が通常の数十倍のコール数になるため、電話がつながりにくい状況が発生します。彼も同様になかなかつながりませんでした。何度も何度もかけて、ようやく深夜に妻と連絡を取ることができました! 

彼としてはお互いの安否が確認でき、互いに安堵することができるかと思ったのですが。

「こんな時間に電話してこないでよっ!」 ガチャンッ!!ツーツーツー・・・・


「・・・・・・。」

そんなこんなで夜が明け、翌日も現場調査の業務を遂行しました。

ニュースで津波の報道が頻繁に流れる中、現場を後にしましたが、高速道路は通行止めになっており、一般道路を利用して帰りました。この時は今後のことも考えて、一定の速度を保ち、低燃費走行をしました。

予想通り、しばらくはガソリンスタンドを利用することが困難な状況でした。地震や津波による製油所や油層所の火災・破損・停止に加え、輸送に使用する道路の寸断や車両の損傷が原因で、ガソリンの供給が滞りました。

 

彼の防災意識の高さが、今回起こった様々な難しい局面で最善の対応と回避に繋がったのではないかと感じました。日頃から防災対策をしておくことで、被害を少なくすることはできます。皆さんも災害に備えて準備をしましょう!

 

 

 

 

 

 

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