~運命を左右した震災~
本日は当社の従業員の防災・災害エピソードを伺ってまいりました!
今回のエピソードは、災害の教訓から防災意識を生活の一部にするというストーリーです。 彼が経験した災害は「東日本大震災」です。
仙台市青葉区に自宅を構える彼は、震災当時、東京都多摩市で単身赴任をしていました。 2011年3月11日 午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。その日、偶然にも彼の妻と愛犬が仙台の自宅を離れ、彼のもとを訪ねていたのでした。不幸中の幸いというべきか、彼の家族は仙台で被災せずに済みました。
震災発生後の週末に会社の東北支社への震災支援に任命され、社用車で仙台入りをしました。道中、山梨、新潟でガソリンを補給し、調理の必要が無いインスタント食品や納豆といった必要物資を買い込みました。それらは、被災した東北支社の従業員たちへ届ける切実な支援物資でした。震災直後の仙台は多くの宿泊施設が被災し、営業停止や建物の損壊で、宿泊できるホテルはほとんどありませんでした。 避難者や復旧作業にあたる人々がわずかな空き部屋を埋め尽くし、支援者や出張者が宿を確保するのは至難の業でした。彼もまた、その困難に直面する一人でした。宿はやむなく山形市内となり、そこから毎日バスで仙台へと通いました。震災直後の仙台では、鉄道や航空など多くの交通機関が停止し、高速バスが唯一の移動手段として機能していました。
東北支社は、電気も水道も電話も使えない状況でした。パソコンサーバーもダウンし、情報網は寸断されていたのです。しかし、そんな中でも、東北支社の従業員たちは立ち止まることなく、津波痕跡調査や構造物被災調査といった復興業務に追われていました。
1週間の支援を終え、多摩市に戻ってきた彼は再び会社から重要な使命を託されました。震災復興のため新設された震災復興部長として、仙台出身の彼に白羽の矢が立ったのでした。
決意を胸に彼はすぐに仙台へと向かいました。しかし、交通網はまだ完全に復旧せず、通常なら新幹線でわずか1時間半の移動ですが東京から仙台への道のりは唯一動いていた高速バスのみでした。高速バスは災対法に基づく緊急通行車両としての扱いになっていたので、一部の区間で優先的に通行できる措置が取られていました。それでも6時間半という時間をかけて仙台まで移動しました。
仙台へ到着すると、復興業務と並行して、自身の自宅の再建にも取り組まねばならないという、二重の重圧を抱えることになりました。そして彼の自宅は生活できる状態ではありませんでしたのでしばらくの間はホテル生活を強いられました。 電気は3月中旬に復旧したものの、水道は約3週間、ガスに至っては4月中旬まで復旧していない状況でした。ようやく水道が使えるようになっても、マンションの屋上にある貯水タンクが倒壊していたため、彼は自宅のある7階から1階まで階段で昇り降りし、2本のペットボトルに水を汲んでは運ぶという作業を繰り返しました。貴重な水は、まず雑巾を濡らすために使いました。
はじめて自宅に戻った日は玄関のドアを開けようとしても物が散乱していたので扉がすぐには開きませんでした。何とかこじ開けて中に入ると・・・
写真:本人提供(地震の影響でリビングのあちこちから荷物が集積)
写真:本人提供(ガラス戸はすべて破損、食器はすべて落下し、割れたガラスがリビングに散乱)
写真:本人提供(天井板が落下し、ピアノの揺れで壁が破損)
写真:本人提供(棚に入っていたものはすべて落下。電子レンジが落下し、2m移動)
何より、震災後の自宅の片づけは、心をえぐるような重みを持っていました。ひび割れた壁、破損した家具、ガラスの破片や思い出が散乱した部屋。変わり果てた住まいを目にするたびにこみ上げるのは、言葉にできない喪失感と絶望です。
自宅の復旧作業には2か月を所要しました。和室の壁紙の張替え、天井板の工事、台所に関しては冷蔵庫と電子レンジの処分。落下したガラスの処理、テレビと書棚、ベッドの処分など。最低限の生活が可能になったと判断したため、6月初旬に自宅に戻ることを決意しました。その後も水が使えなかったなど様々な苦労が続きました。
彼はこの震災で1軒家の方が被害が少なかったことを知り、数年後にマンションを売り、1軒家に引っ越すことに決めました。
そして彼自身の防災対策ルールを決めました。
●水害、地震、急傾斜地等のハザードマップ確認は習慣化する
●火災・地震保険と自然災害(水害、土砂崩れ)の保険に加入する
●ライフラインの復旧には電気1週間、水道3週間、ガス4週間程度を覚悟している
●ガラスコップは最小限に、ガラス扉付家具は自宅には置かない
●背の高い家具は置かない、倒れる棚や冷蔵庫などは固定する
●飲み水は12ℓ、簡易トイレは1週間分用意する
●カセットコンロと予備ガスボンベを用意する
●車のガソリンは極力満タンに近い状態を維持する
●車内ではテレビからの情報収集、携帯電話を充電できるように用意する
●食料は3~4日分確保する(愛犬の食料も)
●熱源や暖房の手段としての石油ストーブを用意する
この経験を通じて、彼は『自然災害において、防災対策を完璧にすることは不可能です。しかし、被害を最小限に抑える努力は不可欠』と強く感じたと言います。そして、家族とどこまで許容するかを話し合い、最悪の事態だけは回避できるよう具体的な対策を講じてきました。彼にとって特に重要なのは、『ガラス製品』と『背の高い家具』を置かないことです。『ガラスが散乱し、物が落下して家具が転倒すると、その場から逃げることもできない』と、彼は自らの体験から痛感したのです。私たちも、彼の教訓に学び、家族で防災のルールを決め、日頃からの備えを始めることが、いざという時の被害を最小限に抑える大切な一歩となるでしょう。皆さんも災害に備えて準備をしましょう!